声と感情をコントロールする

自分を殺してガマンすることと自分をコントロールして抑えた感情表現をすることとは根本的に違う。
今日の高校グリーOB会の練習は、内容的にはより充実したものになったと思うが、一部メンバーの中に声のコントロールができていない人が見受けられた。
まだ曲に取り組み初めて日が浅いながらも自分なりに考えて声と空間を作ろうとする人から見ると、この手の人たちには悲しさを覚える。
わずかの時間だけ集中して、声を出す前にしっかりとイメージを作れば良いことなのに。
機会があれば、ぜひ全員にこの話をしたいと思う。


練習終了間際、同期の彼が顔を出してくれ、その後の飲み会にも付き合ってくれた。
今日も落ち着いていたと思う。


帰りの電車の中で、頭の切れる後輩君と一緒になった。
「××さん(同期の彼のこと)と久しぶりにお会いしましたけれど、フツーでしたよね」と彼は言った。
もちろん彼も、病気のことはわかっているし、行きつ戻りつであろうことも理解できている。
何も病気がなかったとしても、人の言動に対する感じ方は人それぞれである。それをヘンに(常識の範囲を超えて)統制しようとする人がいるから居心地が悪くなるのだと思う(少なくともワタシはそうだ)。


後輩の彼は「私は△△さん(某実行委員長殿)がどうにも苦手です」とも言っていた。
君の感覚にワタシも共感します(笑)。