最後の存在意義

山口母子殺害、元少年の無期判決破棄 死刑の公算大asahi.com − cache)
光市母子殺害:最高裁「結果の重大性」を重視 (MSN毎日インタラクティブ − cache)


元少年の責任は誠に重大で、特に酌むべき事情がない限り死刑を選択するほかない」
「犯行時18歳になって間もない未成年であったこと」は「死刑を回避すべき決定的な事情とまでは言えない」
二審判決については「量刑は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」


そうであれば、なぜ最高裁自ら死刑を言い渡さないのか。
“裁判所として審議の限りを尽くした”というプロセスを何よりも大切にしたいのだろうか。


手続きを重んじなければならない仕事というものは確かにある。
死刑という量刑が軽々しく?決まってはいけない(そんなことは起こらないはずだが)。
でも…ならば、最高裁の意義とは一体何なのか。
軽々しく決めてはいけないことや判断の分かれることを自ら受け止めて結論づける最後の場所ではないのか。
(とっても素人な見方かも知れませんが)


…と、悶々としながらWebサイトを見ていたら、ワタシのような者にもわかるように丁寧に説明をしてくれているサイトを見つけました (^_^;)


▼元検弁護士のつぶやき:046光市母子殺害事件 アーカイブ
 http://www.yabelab.net/blog/040/041/046/


改めて、報道も吟味して見ていかなければいけませんね。
良くも悪くも…かどうかは微妙ですが、更に考える?時間を与えられたのであれば、改めて考え、改めていろな人の判断を見ていきたいと思います。
(自分の感情は感情として)




p.s.
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