戦いを不毛と感じるとき


 あなたの言うことには「論拠」があります。それに対して上司が思いつきを言ったのなら、相手の発言には論拠がありません。「論拠のあるもの」と「論拠のないもの」との間で、論争は成り立ちません。そこで論争が起こってしまったのなら、それはあなたが相手の論拠のなさに「論拠」を認めてしまった結果なのです。そんな譲歩は、する必要がありません。「論争」という不毛に至ったら、それはあなたの間違いです。
 まず、あきれましょう。相手は必ず言い返して来ます。でも、あなたはなにを言われても、ただ聞き流します。聞き流していいのです。だって、あなたをあきれさせた相手は、あなたになんの補償もしてくれないのです。つまり、「オレはつまらない思いつきを言ってしまった」と、相手に認めさせるのです。相手がそれを認めるまで、相手の言うことに耳を傾ける必要はありません。傾けると相手は、初めの「思いつき」という歪んだ土台の上に、さらに別の「思いつき」をのっけます。「不毛」とは、それを相手に許した結果です。「戦い」などという愚かなことをする必要はありません。
(中略)
「人間的」を方法の中心に据えると、どうしても、事態の展開はテンポダウンしてしまうのですが、それはそれでしかたがないのです。


『上司は思いつきでものを言う』橋本治・著(集英社新書)より


橋本治らしい?エッジのある論調です。


相手は上司だけではありません。
(上司だけではないどころか…笑)
そして“時間がかかる”ことを覚悟したとしても、相手が自分のつまらない思いつきに気づく時が本当に来るのかどうか、という懸念もあります。
(もちろん、まずもって、自分の説に「論拠」があることが大前提ではありますが…汗)


でも。
相手をバカにすることをせず、かつ、相手を優秀だと思って甘えてよりかかることもしない。
相手を特別の存在にしない。


難しいですが、今のワタシに必要な想いはそういうことなのかも知れません。